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歴史のまち五泉
1950年(昭和29年)、五泉と巣本、川東、橋田の三村が合併し、五泉市制が施行されました。2006年(平成18年)村松町と合併し、現在の五泉市となりました。
石刃などが出土した先土器時代の薬師堂遺跡、縄文中期の集落遺跡である大蔵遺跡などの古代遺跡。律令時代の中山神社など古の歴史を感じさせています。中世には、菅氏、そして上杉氏の支配地となります。1598年(慶長3年)の上杉氏の会津移封に伴い、旧五泉市あたりは新発田藩、村上藩、会津藩、沼津藩、高田藩、白河藩あるいは旗本領など、その支配の変遷は複雑を極めています。江戸時代には高級絹白生産地となり、近年は高級織物を生産していましたが、第二次世界大戦後は大きくニットの生産に舵を切っています。
一方、旧村松町は1604年(寛永21年)に村上藩より分知した二代安田藩主堀直吉が、安田から村松に領地替えとなり、以来この地に村松藩が立藩し明治まで続きます。1871年(明治4年)村松県となり、同年新潟県に編入されます。第二次世界大戦の終結まで軍都としての歴史を刻んでいます。戦後は旧五泉市とともにニット産業が盛んになっています。この村松藩時代を象徴する史跡等が城下町五泉市の歴史的・文化的な観光資源となっています。
古代 大蔵遺跡 (市指定史跡)
縄文時代、中期(5000年〜4000年前)の集落遺跡です。2件の竪穴式住居と多くの土器・石器が発見されています。特に出土した優勝カップに似た台付浅鉢は「栄光杯」と名付けられ親しまれています。
奈良時代 中山神社
奈良時代平城京にあった西大寺の荘園が置かれていた場所とも考えられています。鳥居から続く石畳を歩き石段を上ると、巨樹・古木に囲まれた荘厳な雰囲気の中に本殿が建ち悠久の歴史を感じさせます。
平安時代 住吉神社本殿・拝殿
806年(大同元年)に勧請と伝えられる古い歴史をもつ神社です。藩主の直吉が堀家宗廟を祀り、村松藩五社のひとつとして優遇しました。本殿は1788年(天明8年)堀直奇150年忌に再建されたもの。拝殿は1838年(天保9年)、直奇200年忌に再建され、ともに市の有形文化財に指定されています。
平安時代 矢津八幡宮本殿 (県指定有形文化財)
807年(大同2年)創立と伝えられ、近世に村松藩主堀直吉が再興し、武人の守護神として崇拝されました。村松藩五社のひとつです。拝殿の後ろにある本殿は、1661年(寛文元年)に造営され、江戸時代初期の建築様式を今に残す貴重な建築物として、県の有形文化財に指定されています。
室町時代 滝谷 慈光寺
草創期は明らかではないが真言宗か天台宗の霊刹と伝えられています。室町時代の1403年(応永10年)傑堂能勝により中興開山され、江戸時代に越後四ヶ道場のひとつとして繁栄しました。建物は1755年(宝暦5年)に焼失し、庫裏は1759年(宝暦9年)、本堂は1763年(宝暦13年)に再建されたもの。大変美しい七堂伽藍をもつ貴重な寺院です。
戦国時代 五泉城址
1583年(天正11年)に上杉景勝の家臣甘糟備後守景継が護摩堂山城から移ってきた城です。現在は八幡宮が建ち、城址を示す小さな石碑が残っています。甘糟景継は、謙信死後の「御館の乱」で直江兼続とともに上杉景勝のため奮闘しました。
江戸時代 城跡公園・村松郷土資料館
村松藩の居城跡を城址公園として整備。梅、桜、花しょうぶ、紫陽花など四季折々の花が楽しめます。公園内にある村松郷土資料館では「村松城下図」など、藩政資料を中心に展示しています。別棟の民具資料館では、市指定有形民俗文化財である式三番城町屋台を見学できます。
江戸時代 布袋町布袋屋台 (市指定有形民俗文化財)
1819年(文政2年)指柳町の11人が私財を投じて建造した屋台。布袋の人形が2階に載っていることから「布袋屋台」と呼ばれています。江戸時代には五泉には7つの屋台がありましたが、人形とともに完全な形で保存されているのはこの布袋屋台だけです。
江戸時代 羽下(はが)伊藤家住宅 (国登録有形文化財)
江戸時代後期から昭和初期にかけての富裕層の様子を伝える建造物群です。特に屋敷の南端にある三階土蔵は象徴的な建物です。2005年(平成17年)にこの三階土蔵を含む6棟が国登録文化財となりました。外観のみ見学可能です。
江戸時代 子安延命地蔵尊 (市指定有形文化財)
身の丈は2.9mにもおよぶ大石仏です。子どもを抱いているところから子安のお地蔵さまと親しまれています。建立は天保の頃と伝えられています。かつては大川前に安置されていましたが、現在は粟島公園に移されています。
江戸時代 坂田家住宅 (国登録有形文化財)
江戸時代に庄屋、明治時代に中蒲原郡の戸長を務めた旧家で、母屋や堆肥舎や古土蔵など全5棟が2011年(平成23年)に国登録文化財となりました。近世の屋敷構えがよく保存され、当時の富裕農民の様子を今に伝えています。外観のみ見学可能です。
江戸時代 蒲原神楽 (市指定無形民俗文化財)
江戸時代に蒲原集落に悪疫が流行し、投宿していた西蒲原の旅芸人が悪疫を鎮めるために獅子頭を刻み舞を伝えたのが始まりといわれています。一時途絶えていましたが、1916年(大正16年)に当時の大蒲原村有志が復活し、大晦日の深夜から元旦未明に下大蒲原地区の神明宮で奉納されています。古い形を留めながら継承されている民俗芸能です。
江戸時代 式三番城町屋台 (さきさんばじょうまちやたい)(市指定有形民俗文化財)
1788年(天明8年)に6代藩主堀直教の命により村松藩祖堀直奇150年忌に建造された屋台です。長さ4.6m、幅2.8m、高さ3.9mで名工とうたわれた宮大工5代目小黒杢右衛門が建造しました。同年住吉神社の祭礼に奉納されています。1994年(平成6年)に修復し村松郷土資料館・民具資料館で展示しています。
江戸時代 佐取古戦場
1868年(慶応4年) 8月、この地に陣を構えた白虎ニ番寄合隊を含む会津隊が、阿賀野川下流で渡河した新政府軍と衝突した戊辰戦役の激戦地です。咲花駅前には古戦場の記念碑が建立されています。ここで戦死した白虎隊士星勇八の墓が近くの長徳寺にあります。
明治時代 村松兵営跡
軍都村松を忍ぶ旧跡。1897年(明治30年)に旧日本陸軍歩兵第30連隊が駐屯。その後第16連隊、陸陸軍病院、第158連隊、少年通信兵学校が置かれ、現在の新大農場や野球場、村松桜中学校の敷地を含む一体が演習場として使用されていました。現在は紅レンガの営門と哨舎が修復され、記念碑が建立されています。
明治時代 新潟県立村松高等学校(旧新潟県立工業学校)正門 (国登録有形文化財)
1900年(明治36年)に県下初の工業学校である新潟県立高校工業学校が村松に開校しました。この正門も開校の頃に建設されたと考えられています。新潟県の工業高校の歴史や当時の面影を伝える貴重な資料として、2008年(平成20年)に登録文化財となりました。
昭和時代 忠犬タマ公の像 (村松公園ほか)
昭和9年と11年2回にわたり雪崩に巻き込まれた主人を両足を血まみれにして助け出した忠犬タマの勇敢な行動は多くの人々に感動を与えました。「忠犬タマ公物語」として新潟中の人々に語り継がれています。村松公園のほかに愛宕小学校、ラポルテ五泉、ありがとうの郷にもあります。